2025年06月01日(日)は何の日かな?
6月1日に生まれの有名人や過去におきた代表的な出来事や記念日などを紹介します!
マリリンモンローの日
1926年のこの日、永遠のセックス・シンボルといわれるマリリン・モンローが生まれた。映画『ナイアガラ』では、腰を振って歩く仕草「モンロー・ウォーク」で世の男性を虜にした。私生活では野球選手のジョー・ディマジオを始め数回の結婚を経験、ジョン・F・ケネディ大統領(当時)との不倫関係も噂された。1962年8月5日、自宅で死亡しているのが発見された。当初、有力だった自殺説は身を潜め、何者かによる謀殺説が根強く叫ばれ続けている。謎の死を遂げてからもその人気は衰えるところを知らず、1992年、ロサンゼルス市とハリウッド商工会議所では、モンローの誕生日であるこの日を「マリリン・モンローの日」と制定した。
プロポーズの日
古くからヨーロッパではジューン・ブライド「6月の花嫁は幸せになれる」と言われてきた。なぜ6月かというと、ローマ神話で結婚の女神ジュノーの守り月であることから。そんな6月にプロポーズすればきっと幸せな結婚ができると、プロポーズをするきっかけの日として生まれたのがプロポーズの日(6月第1日曜日)。制定者はブライダルファッションの第一人者桂由美氏。
気象記念日
1875年のこの日、赤坂に気象庁の前身・東京気象台が設立され、気象と地震の観測が開始されたことにちなむ。明治政府は、1871年工部省に測量司を置き、東京府下の三角測量を開始、測量師長は灯台建設のため来日したイギリス人のマクビーンで、測量助師は京浜間鉄道布設のために来日したイギリス人ジョイネルだった。このジョイネルが気象観測の必要性を建議し、工部省測量司は気象台を設けることを決めて、当初は、御雇外国人ジョイネルが1日3回の気象観測を行い、地震があれば土蔵の中の地震計まで飛んで行ったという。
写真の日
1902年から『東京日の出新聞』に19回にわたって連載された鈴木天眼の「日本写真の起源」と、松木弘安の『寺島宗則自伝』に、日本で初めて写真が撮られたという記述があったことから、1951(昭和26)年の6月1日に日本写真協会が「写真の日」を制定。しかし、後の調査でこの日時が誤りだったことが判明。どうやら1857年(安政4年)の9月17日が本当の日だったようだ。それでも、一度決めてしまったものを変更するのもなんだったのか、複雑な事情が絡んできたのか、6月1日をそのまま「写真の日」としている。
チューインガムの日
平安時代より、元日と6月1日は「歯固めの日」として、かたい餅などを食べて健康増進を図る風習があった。当時の社会では、普段から歯の根を固めておくことは、長生きする大切な条件といわれていた。時代は変わっても、噛むことの大切さをあらためて考えてもらいたいと、日本チューイングガム協会が制定。チューインガムの発祥は西暦300年ごろのメキシコ。日本では大正時代には輸入されていたが、当時の食習慣などに合わず、あまり売れなかった。終戦と同時にアメリカ軍のチューインガムは、新しいファッションとして急速に日本人の間に浸透し、生活の洋風化とともに愛好者を急増させた。