2025年12月22日(月)は何の日かな?

12月22日に生まれの有名人や過去におきた代表的な出来事や記念日などを紹介します!

労働組合法制定記念日

戦後の日本で連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が民主化政策を進める中、その一つとして1945(昭和20)年の12月22日に「労働組合法」が公布された。この法律によって、労働者の団結権・団体交渉権・団体行動権等が保障された。「労働基準法」「労働関係調整法」とともに「労働3法」と呼ばれている。しかし現在、労働組合の組織率は年々低下していて、労働者の権利を行使する場が減少きているのが現状である。

冬至

冬至(とうじ)は節分を基準にして、1年を24等分にし、約15日ごとに分けた季節である「二十四節気」の区分の一つ。北半球で太陽の高さが最も低なるため、一年で最も日が短くなり夜が長くなる。この日を境に、徐々に日照時間はのびていく。現在ではおおよそ12月22日頃。冬至は昔「死に最も近い日」と言われていたからか、厄をはらうため様々な無病息災を願う慣わしがある。ゆず湯に入ったり、かぼちゃを食べたりするのもそのうちの一つ。

『昭和の巌流島』の戦いで力道山が木村政彦を破る

15年間不敗のまま引退した史上最強の柔道家・木村政彦は、プロレスラーに転向後、力道山とタッグを組んで興行を行なっていた。しかし毎回、木村を助けに入った力道山が空手チョップで倒すという試合進行台本に嫌気がさした木村と力道山の間に亀裂が入るようになった。木村が「真剣勝負なら力道山に負けない」と発言したことをきっかけに、1954年のこの日、プロレス日本一を賭け、『昭和の巌流島』と称される戦いが行なわれることとなった。試合途中、力道山が突然殴りかかり、そのまま張り手の連打を打ちまくって、戸惑ったままの木村をそのままKOした。木村は大量の血を吐き、マットに大きな血だまりができた。観客たちも驚き、会場は静まりかえった。明らかに普通のプロレスではなかった。真相が闇に葬り去られたこの世紀の一戦は、今も『プロレス史最大の謎』と言われている。

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